「尊重する」ということ

今回は「尊重する」ということについて。

人間関係、特にチームワークが必要な場面では意見の衝突が起きやすく、ゆえに相手を尊重することは重要であるとされます。


友人関係などであれば利害関係が薄く、自然に相手を尊重しやすいと思われます。しかし、公的な関係になるほど「命令」や「多数決」で意見の衝突を回避することが多く、難しくなる事と思います。あるいは家族関係でもそうでしょう。


さて、「尊重する」とはよく耳にしますが、具体的にはどのような意味なのでしょうか。


手元の電子辞書には「尊いものとして重んずること」とあります。例によって曖昧ですねw


なので考えてみましょう。

「尊重すること」の意味が曖昧になる理由の一つが、他の言葉と混同しやすい事だと思います。

僕の推測ですが、尊重することと混同しがちなのが「肯定する」ということです。


「肯定する」の意味を辞書でひきますと、「同意すること、認めること、価値があると判断すること」とあります。

意味の第一に「同意すること」が来ているように、肯定と同意には一定の繋がりがあるようです。この事から、「尊重する=肯定する=同意する」というイメージができあがるのでしょう(多分)。実際に、肯定することは尊重すること、否定することは尊重しないことと扱われることが多いように思います。


しかし、辞書での尊重の意味が「尊いものとして重んずること」とあるように、尊重と同意には直接の繋がりはないのです。


「尊重」の対義語は「無視」であり、「否定」や「批判」ではありません。

たとえ相手を批判する発言をしても、ちゃんと相手のことを見ているなら、それは相手を尊重していることになるのでしょう。反対に、相手を褒めたり肯定するような事を言っても、それが相手を誠実に見ていないものであれば、尊重していることにはならないと思います。


思うに、尊重するとは必ずしも相手を肯定することではありません。相手を自分の理想通りの枠に当てはめる事をせず、しっかりと見ることです。すなわち、その人が何を感じ、考えているかを見て、意思を聞こうと努めることです。(一言でいうと「相手の意思を聞き、それに配慮すること」です)

だから、たとえ批判的であったり意見を否定しても、相手を誠実に見ているなら、それは相手を尊重していることになるのです。

悲しいのは、理解されていないのに理解したと思われること、批判ではなく誹謗中傷を受けること、自分の思い通りにしようとされること等です。


まとめると、「尊重する」ということにおいて肝要なのは、相手を肯定的に見ているかどうかではなく、誠実に見ているかどうかということになります。


とりあえず以上です。読んでいただきありがとうございました。



(尊重することが必ずしも相手を肯定することではない、ということに関しては、中国のある学派についての話があります。

一方の学派の弟子が他方の学者を批判したところ、師は「よく知りもしないのに(相手の主教義を)批判するな」と弟子を諭したそうです。両学派は互いに相手を批判しつつも敬意を持っていたとか。陽明と朱子だったと思います)



(※もう一つ人の話を聞く上で大事なのは、相手が「引き上げようとしているか」「引き下げようとしているか」だと思います。


「引き上げようとする」とは例えば、小説ならば、物語に矛盾がある場合や状況が伝わりにくい書き方をしている場合にそれを指摘する、また登場人物の行動がおかしい(キャラが崩壊している)のを訴える、などが挙げられます。

この際に核となるのは「もっと良くなってほしい」という思いを込めて働きかけることです。

また極端な例になりますが、それこそ銃弾で友人の足を撃ち抜くとしても、錯乱して地雷原へ突っ走るのを止めるためであれば、相手を助ける行為になるでしょう。(無論、銃器や刃物の扱いには注意が必要ですが)


「引き下げようとする」とは例えば、小説であれば細かい誤字脱字を指摘する、登場人物を下品な言葉で罵る、などが挙げられます。こちらは相手を引き落とそうと過激な物言いになることが多いので分かりやすいです。


おおむね「引き上げようとするもの」は批判、「引き下げようとするもの」は誹謗中傷と捉えるのが妥当でしょう。

ただ、一見は「引き上げようとする」ように見えても、自分が良い気分になるために批判をする場合も少なくないです。

大事なことですが、批判をすることには快楽が伴いやすいのです。この場合は、むしろ相手を蔑ろにしていると言えます。本質的に自分を見ているか、相手を見ているかの違いと言えるでしょう。


総合的に見て、相手を誠実に見ず、かつ引き下げようとする目的の言葉はそれほど聞くに値しないでしょう。逆に、誠実さや引き上げようとする目的を伴う言葉は、たとえ不快であってもある程度は耳を傾けるべきだと思います。

そして話す側としては、自分の思い描く理想に当てはめようとせず、できるだけ相手を知った上で話したほうが良いでしょう。特に、「相手が置かれている状況」は盲点になりやすいです。今度こそおしまいです)

(なおネットで漁った記事では、尊重するとは「相手の力の欲求に配慮すること」とありました。そちらのほうが的確ですねw 多分すぐに出てきます)