機械仕掛けの神

※将棋の人工知能に関する話。



古代ギリシャの演劇において、劇の内容が錯綜した糸のように解決困難な局面に陥った時、絶対的な力を持つ存在(神)が現れ、混乱した状況に一石を投じて解決に導き、物語を収束させるという手法を指した」 

(Wikipediaデウス・エクス・マキナ」より)




コンピューターが「強さ」という面において人を凌駕している現在、「評価値」と聞くとあたかも神のような絶対的な響きがあります。


しかし、評価値とは人間にとってどのくらい信用できるものなのでしょうか。より具体的に言うと、評価値がプラスを示していても、果たしてそれは我々人間(本記事では特にアマチュア)にとっても「勝ちやすい」形勢であると言えるのでしょうか。



僕は思うに、コンピューターにとっての勝ちやすさと人間にとってのそれはかなり異なると思うのです。


どういう事かと言いますと、まず前提として、コンピューターには「感情」も「ミス」もありません。対して、人間にはそれらがあります。何度も言及されている事であるとも思いますが、これが両者の決定的な違いです。


上記の事情ゆえに、コンピューターは「ミスを恐れずに」踏み込むことができます。どれだけ自玉が薄くなろうとも、ぎりぎりのバランスであろうとも、複雑な展開になろうとも、決して道を誤ることはありません。彼らには「1」のリードを確実に勝利に結びつける正確さがあります。


対して、人間は必ずミスをします。

プレイヤーの多くが「堅さ」を求めるのはなぜでしょうか。それは勿論、その方が勝ちやすいからです。堅牢な城を築いていれば、2発、3発と撃たれても耐えることができます。その間に相手を仕留められれば良いのです(穴熊や矢倉戦が顕著)。


堅い=速度計算がしやすい、ということなので玉が堅いと必然的にミスをしにくくなります。それに対して、薄い玉形だと「1発」が致命傷になりかねません。ゆえに、そのような戦形では速度計算が難しく神経を使います。


神経を使うと当然疲れます。さらに、ネット将棋やアマチュアの棋戦では持ち時間が短いため、短時間での正確な判断を強いられます。これが焦りに拍車をかけます。


棋力を別として、ミスをする確率は「局面の複雑さ、疲労、焦り、恐怖」などの要素に比例します。ゆえに人間同士の戦いでは、「いかに(精神・局面の両方で)負担をかけられるか」が勝負を分けます。



しかし、コンピューターには「精神的な負担をかける」という概念が存在しません(彼らにはそもそも必要ありませんが)。彼らが追求するのは「弾丸の雨を浴びようとも、わずかでもリードできる展開」です。そのためにはいかなる綱渡りも恐れません。


したがって彼らが示す手は、厳密な善悪においては優れていても、使用者にとって複雑で神経を使うものが多い。ゆえに人間、特にアマチュア選手には扱いづらいと思われます。



以上から、コンピューターにとって勝ちやすい手と人間にとってのそれは相当に異なると思います。

それゆえ、我々がコンピューターの推奨手を自分の将棋にどの程度取り入れるかは、いま一度よく考慮すべきであると思うのです。




「答えよりも肝心なのは、問い」 (カスパロフ)




とりあえず以上です。
読んでいただきありがとうございました。





(補足。「コンピューターの推奨手は扱いづらい」という風なことを散々書きましたが、それは主に損得が曖昧な局面においてです。損得や優劣が明らかな場合には、コンピューターは一瞬で最善手を示すのでとても検討が捗ります。しかし、曖昧な局面では「え、それで良いのか?」となる手を示すことが多いです。そのような手は確かに厳密には有利になるのかもしれませんが、+300点ほど得をするとしても、それが自分の棋風に合っていなければ結局は不利になりやすいと思うのです。「最善手よりも自分でひねり出した次善手の方が勝率が高い」という趣旨の事をどこかで聞きましたが、僕自身もそう思います(無論、県代表クラス以上の戦いになると全く話は違ってくるのでしょうけど)。ここまで書いておいて何ですが僕もコンピューターはフル活用してます。ただ、コンピューターを尊重しすぎると自分の将棋を指せなくなってしまうので、盲信はせずに、自分の棋力や棋風と相談しながら利用するのが賢明かと思った次第です)