ディフェンス
∽「防御は最大の攻撃」∽
好手の数は少ないが、悪手の数は計り知れない。
それゆえ、この世を生きる上で最も重要なのは「防御」である。無論、「攻撃」―すなわち前進することも非常に重要だが、消極的な利を考えて身を守り、致命傷を避けることはそれ以上に重要だ。
いくら勝利を積み重ねても、大敗を喫すれば瞬時に破滅する。大敗に備えない者や盾を持たない者は、いつか必ず致命傷を受ける。これが敗者に共通する原則であり、ゆえに防御は大切なのだ。
しかし防御は軽視されがちである。大抵の人は盾も持たずに攻めたがり、考えるよりも先に集めようと血眼になる。結果として運良く成功することはあっても、最終的には沈む。ギャンブラーは破滅するのが運命である。
なぜ防御が軽視されるのか。それには公衆道徳が深く関係している。広く伝えられる道徳では 、「動く」ことのみが説かれる。例えば「死ぬ気でやればなんとでもなる」といったものである。しかし、それは生の主導権を奪い、歯車として生を終えさせるための呪縛にすぎない。
上記の事情(公衆道徳の流布)のために、普通人は「消極的な利益」に関心を示さない。だが実はそれこそが重要である。「後ろ向き」は一般に悪い事とされるが、それは貴族の教義だからだ。破滅を避けるためにはまず「悪」、すなわち「注意すべきこと」を知らねばならない。
最大の悪は、「求めるべきでないものを求めること」である。訳の分からぬまま落とし穴にはまり、そのまま死ぬ人は数知れない。
後ろを見れば悪を知り、悪を知れば落とし穴を知る。それが勝者の道を歩む起点になるのだ。ゆえに、「前向き」とはあくまでも相対的なものでなければならない。前だけを見ていては長期的には勝てない。
堅牢な城が揺るぎない攻勢を可能にする。人生のプレースタイルは人の数だけ存在するが、道を阻むものはそれよりも遥かに多い。
だから、遠くを目指すのなら、まずは守りを固めるのだ。
城を築き、盾を掲げよ。
「悪は無限定的なものに、善は限定されたものに属する」 ―『ニコマコス倫理学』
「何をやるかということよりも、何をせずにおくかということの方が、はるかに重要であることが多いのですが…」
―『知的生活』
「君がよく注意しようと思っていても、人生はこぼれ落ちる。大部分はなすべきではないことをしている間に、もっとも多くは何もしない間に、全人生は筋違いのことをしている間に」
―『セネカ哲学全集5』
以下は補足、余談。
☆「落とし穴」
やや抽象的な内容だったので、具体的な補足を。
僕の言う「ディフェンス」とは、一言でいえば
「負の面(リスク)を考慮し、消極的な利を得ること」である。
本文でもちらほら書いたが、盾や城をイメージしてもらえると伝わりやすいかもしれない。
さて、「落とし穴にはまる」というような事を書いたが、落とし穴とはどのようなものが挙げられるだろうか。
極端な例かもしれないが、例えは極端な方が伝わりやすいので簡単に列挙と説明をしてみよう。
・悪徳宗教
悪徳宗教と言うとオウム真理教のような過激なイメージが強いが、むしろ過激でない方が怖い。音もなく時間や財、生気を吸い、蝕むからだ。
・パチンコ
ご存じ公営ギャンブル。もとい貧困量産機。
・ソシャゲ
「追われる」感覚を覚えたら注意。既に片足がはまっている。
高自殺率に貢献する妖怪。抜け出すにも、気づいた時には抜け出す気力が無くなっているというケースが後を絶たない。
・消費者金融(というか様々な借金)
カエサルは借金まみれだったが(主に友人から)。借金して良いのは、その必要がある人か明確な目標がある人のみ。中間層は食べられやすいので注意。
・株、FXなどの投資
神経を使いすぎる人は数字に踊らされるため手を出さないのが賢明だろう。
・失敗した結婚
子供を作っていればなおさら。とばっちりを受けるのは子供である。
・アル中
調整中。
(※お酒は概して有害である旨を書いていましたが、考えを改める必要がありそうです。というのも、お酒に「逃げ」ると後悔する結果になることが多いのであって、害を招くのはお酒そのものではなく、向き合い方にかかっていると思ったからです。またお酒に逃げてしまう場合にも、相応の背景があることを想像するべきでした。ですので、整理がついたらまた書きます。一つだけ書いておきますと、混ぜものが多い安酒には特に注意が必要だと思います。)
・異性関係
男性は吸われやすいので注意。女性は体にご注意を。
他にもあるが、主にはこんなものだろう。
ある程度、自分を客観視できない人がこれらに落ちればその時点で半ばチェックメイトである(修復が利かないため)。運が良ければ助かる。次に書くが、落とし穴とはこれらに限らない。
☆「搾取」
この世界は地獄である。
僕も含めて、大多数の人は労働者階級(あるいは中産階級)として生まれる。すなわち、「搾取される者」として生まれる。
つまり、実は生まれながらにして大なり小なり皆「落とし穴に落ちている」のだ。その証拠に、国のために尽くせ、勤勉に働け、明るく振る舞え、結婚しろ、といった公衆道徳を叩き込まれてきたはずだ。
そのため、何の疑いもなく生きると自分の道を奪われたまま死ぬことになる。奴隷制は消えたのではない。鎖が透明になり、搾取の構造が複雑になったに過ぎない。
「搾取とは=他者の労働の私有化そのものである。当然現在の社会までその観念が発生時点(農耕の始まり)から繋がってきたことにより、現在社会でも人間による人間の搾取は行われている」
(Wikipedia 「搾取(―資本制以前の搾取)」の項目より)
現代において、搾取の核となるのは「労働」と「消費」である。労働によって民を拘束し、さらに消費を促すことによって余裕が生じる可能性を奪う。この両輪によって民は縛られ、国は潤うのだ。
したがって、労働時間を減らし、節制によって消費を抑える事ができたならば、その二重拘束からかなりの部分で解放されることになる。それは「民」を抜け出す起点になり得るだろう。
☆「攻防一体」
後ろを見ることで攻めが遅れるのは気にしなくても良い。将棋でもそうだが、守りを堅めれば間接的に攻撃力も高まるのだから。(穴熊が好例である)
また無益な行為を控えることで、その分だけ有益な行為をする確率、前進できる確率が上がる。ゆえに防御は同時に攻撃でもありうる。
☆「先見の城」
防御の基本は「最悪のケース」を想定すること。すなわち、致命傷を防ぐことだ。本文でも書いたが、大敗に備えぬ者は必ず負ける。
本物のエリートは滅多に失脚しない。素人が思っている以上に玄人は負の面を重視する。まず底に穴が空かぬようにし、それから初めて集めるのだ。
貴族は資産を増やすことよりも、むしろ漏れぬようにすることに多くの神経を使う。奴隷が逃げぬように、権力が脅かされぬようにも。だから貴族は永く貴族でいられる。