英語で一言(その2)

前回に引き続き、思いつきや聞いたことを(Google翻訳を使いながら)英語で訳したもののまとめです。




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Experts generally do not collapse easily
玄人は総じて容易には崩れない

Although tend to focus on brilliant technic
華やかな技術に目が行きがちだが

Their strength lies in their strong will and spiritual toughness
彼らの強さは強靭な意志と、精神的なタフさにある



If I envy someone, it's when I lose sight of what my nature
仮に誰かを羨ましいと思うなら、それは本分を見失った時 (あるいは、まだ本分を見つけていない)



There is no standard for masters
名人に定跡なし


Better than not a bad plan
悪いプランも、ないよりはまし (カスパロフ)



There is no benefit that can be given to someone whose trust is broken
信頼が壊れた相手に贈れる恩恵はない

(例えば、敵からパンを貰ったら、それを毒入りではないかと疑うだろう)


However, Anyone who deserves respect, even an enemy, will be able to benefit the other person
だが、敵であっても尊敬に値する人物なら、相手に恩恵を贈ることができるだろう

( ex.敵に塩を贈る)



Angels serve their purpose by constraints and devils by liberation
天使は制約を課すことによって、悪魔は解放することによって目的を果たす

(※善悪ではなく、種族の性質について)




Deposition is the aptitude to take advantage of opportunities, whether speaking or doing
沈着とは話すにしろ行うにしろ上手く機会を利用する適性である (ヴォーヴナルグ)


One must have a memory commensurate with that spirit
人はその精神に相応した記憶を持たねばならない (ヴォーヴナルグ)



Be careful until the policy is decided, and be bold after it is decided
方針が定まるまでは慎重に、定まってからは大胆に



Deployment is intense
展開は激しく

Convergence is quiet
収束は静かに

Reflection at the end of everything
反映は全ての終わりに



Those who do not choose will not be chosen
選ばない人は、選ばれない



Noble death is better than shameful life
高潔な死は恥ずべき命にまさる (アグリコラ)

英語で一言

最近ですね。英語の学習も兼ねて、思いついた事や本で見た言葉などをGoogle翻訳の力を借りながら英語で表現したりしています。今回はそれのまとめです。


※まだ始めて日が浅いため、おかしい所が多々あるかもしれませんがご容赦下さい。





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Strong means facing weakness
強さとは弱さと向き合えること



Nothing is more afraid than fear
恐怖ほど恐れるべきものはない



Life and death go around
and immortal is born
生と死が廻り
不死は生まれる



A strong enemy that stands up
立ちはだかる強敵



Starlight arrives late
星の光は遅れて届く



Strength to parry stress
力をいなす力



Why don't you try to pursue what is really good, not to show off, but what you feel is good?
なぜ本当に善きもの、誇示するためのものではなく、自らが実感する善きものをこそ、追い求めようとしないのだ (セネカ)



Fold it wisely, when the tailwind inflates the sail too much
賢明に畳むがよい、追い風があまりに帆を膨らませ過ぎたときは (ホラティウス)



"One" expands to "two" and "three"
「一」は「二」にも「三」にも展開する
(『荘子』? )



At the bottom of the abyss, the contradiction is divided
深淵の下の方では、矛盾は分割である
(『トートの書』)

But in the abyss, the contradiction is unified
しかし深淵の上では矛盾は統一である
(同書)



Let the universe play with your heart
宇宙に心を遊ばせる



Those who have already started have achieved half of the things
すでに始めてしまった人は、物事の半分を達成している (ホラティウス)



Sense of extracting the essence
本質を抜き出す感覚



He already seemed to have a great treasure
彼は既に大きな宝を持っているように見えた



You need someone to say, "That's fine."
「君はそれでいい」と言ってくれる存在が必要だ



Spring distortion
泉の歪み



"Adapt. Also, adapt others. Otherwise, We will expel you"
「適応せよ。また、適応させよ。さもなければ、君を追放する」

牢城

今回は悩みというか。


僕はかなり、というかすごく不器用で、多くのことを同時に進めると破綻する。でも好奇心は強い方なのでやりたい事は多くて、よく色々な事に手を出しては、キャパシティを超えてダウンしてきた。


何度もそういうことがあったので、僕は自分の行動に制限をかけることにした。ゲームをやりたいが今やっていることを優先したいのでしない、というように。(特化するイメージ?)


それで一旦は今の活動に集中できるようになるのだけど、制限するのを続けていると、ある日とても行動の選択肢が減っていることに気づく。

大体それに気づくのは限界が来てからで、割と死にそうになってから「好きなことをしているはずなのに、なぜこれほど苦しいのだろう」と思う。

枠を広げるつもりが狭めてしまって、気づいたらすごく窮屈になってたりしてさ。

悩みというのはそれ (制約のあまり活動が苦行になってしまうこと)なんだけど、それは自分にとっても、自分以外にとっても危ないものだから気をつけたいよ。

おしまい。

星巡り

こんばんは。今回も私事です(最近多いな)。

あちらの方でも少し書きましたが、一人では活動を今日まで続けられなかったと思います。見ていただきありがとうございます。


何度か書いているかと思いますが、去年はとりわけ絵や創作を始められたのが大きかったです。特に、精神的な可能性が広がりました。
どうも僕は、文章を書くだけでは潰れるようです。


一般に、文章 (特に僕が書いてるようなの)は目に留まりにくく、評価もされにくいので、というか下手をすれば石さえ投げられるので、長い間とても不安でした。自分がしていることに意味はあるのだろうか、とか。

そんな事情もあり、たまに息巻いてしまうこともあったのですが、最近は多少は落ち着きました。人によっては、面白味が無くなったと感じられるかもしれませんが…。


僕は、今の自分は変化の時期だと思っていて、これまでに集めてきたものを倉庫(?)に預けて、新しいものを探している所なので、ある意味では抜け殻のような状態だと思います。


「自分に能力があると思うと、他の能力が入って来なくなる」という話を聞いたことがあるのですが、やはり新しい種類のものを仕入れたい時には、既存のものを圧縮したり、一旦は隅によけておく必要があるのかなと思います。容量が限界だときついですし。


というわけで、毎度のごとくまとまりが無くなりましたが、今後も気長に続けていこうと思います。あとTwitterの方々へ。僕と関わってくれて、それと成長させてくれてありがとうございました。これからもよろしくお願いします。


ではまた。

あかつき

あけましておめでとうございます。(遅いよ)

このブログを始めてから1年と少しが経ちました。早いような遅いような。


ともあれ、Twitterの方でも書いたのですが、去年はどちらかと言うと自信(慢心?)を打ち砕かれた年でした。


もちろん、創作の道が拓けた事などのように、新たに育った自信もあります。でもそれ以上に、自分の未熟さを痛感しました。


ここでの未熟さというのは、主に精神性です。

具体的には、「自分の言葉で話す」という事がこれほど難しいとは思いませんでした。自分の言葉で話すと、「誰々がこう言っていたから」などの後ろ盾が無くなるからです。

僕はそれまで、人から教わった事などを頼りに言葉を紡いでいました。しかし、自分の奥深くから出た言葉であるほど、失言した際に、痛烈なダイレクトアタックとなって自分に突き刺さります。


ブログは一人言の性質が強いので ( 特にこのブログは)、社交場で話すほどには神経を使わないです。でもTwitterではそうはいきません。あちらは「読まれる」ことが前提であるからです。かつ、修正が効きません。消すことはできますが、一度流れてしまえば永遠に跡が残ります。


自然なやり方によって出た言葉であれば、ある程度の摩擦が生じるのは仕方ないでしょう。でも自分の不注意や未熟さによって人を傷つけたり、むやみに不快にさせたりしてしまうのが嫌なのです (事実、そうなってしまったことが何度かありました)。


そういうこともあり、今までに読んできた本をまた読み返したりしていたのですが、その中で「自分が物知りだと、何か知っているなどと思われたがるな」という旨のことが書かれていました (たしか、エピクテトスの本です)。


その程度の基本も忘れていたことに、とても恥ずかしくなりました。というのも、僕はかなり「すごい」と思われたくて物を書いたり、振る舞っていた面があったからです。


それは幼少期から、知性的な面を抑えつけられてきたコンプレックスから来ていたのかもしれませんが、まずそういった傲慢さを克服する必要があると思いました。最近の変化は、そのような背景があるのが大きいと思います。



まあTwitterのことはその辺にして、このブログの話に移ります。

とりわけ僕はこのブログにおいて、自分の主張を強めたいがために、かなり極端な書き方をしてしまうことが多かったです。

例えば、「火の扱い」には注意が必要ですが、だからといって「火は危ないから使ってはいけない」と言うのは行き過ぎで、「使うにはこういう注意が必要」と伝えるべきです ( 軍隊での訓練、という訳でもなければ)。

大事なのはどのように接するかですし、そのような区別ができないのは未熟な証に他なりません。

相手が危険な方へ流れないように語気を強める、という目的があるならばその限りではありませんが、それにしても乱用は避けたほうが良いでしょう。
なぜそれが危険なのかを伝えるのが最も重要で、引きちぎるような抑圧こそ危険だからです。



僕はよく「あれをするな、これをしろ」と言われて育ってきたのですが、その不満を抱えて他の人に同じことをするのは嫌ですし、命令は最も安易な伝え方なので、伝えたいのであれば別の工夫をする必要があると思いました。まだ色々と悩んでいるところですが…。


何が言いたいのか分からなくなってきましたが、僕はまだどこかで自分を「普通 (あるいは、まとも)」だと思いたいからなのか、自身の抑圧された過去やハンディを軽視する癖があります。

でもそういうのも、「複雑」という表現で蓋をしない方がいいのかなと思いました。( 紐解ける余裕ができれば。最近やっと感情の出し方を少し覚えた)


というわけで、これからも工夫しながら続けていこうと思います。読んでいただきありがとうございました。



(なぜ毎回こうもまとまりがなくなるのか)

画像とか

お久しぶりです。生きてます。

今回は、僕が作っている画像について。



僕のPixivやツイッターを見てくれている方はご存知でしょうが、半年ほど前から下のような画像を作っています。

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(この画像のタイトルは「ジュピター」)


どうやって、と言うと、主にはCraZeというアプリで原形を作り、それをPixlrやMirrar Labで加工します (ご興味があれば調べてみてね)。

まあ大体、6〜8時間ほどで作ります。でも「作ろう」と思うと中々作れなくて、他の活動が煮詰まった時の気分転換として作ると捗ります。魔力がいるのかね


というわけで作った画像の一部を紹介します。




① 「サターン」

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土星ですね。かなり気に入っています。
理容院の人に見せたら褒められたよ。

以上。(コメントって困りますねw)




② 「エンド・オブ・ザ・ワールド

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これは2つの加工画像を組み合わせて作りました。森の中にある都市みたいなのと、禍々しい輪ができたので。それを混ぜ混ぜ。



③「時渡りの船」

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流星にも見えるかもしれませんが、タイ厶マシンですw これもかなり気に入っています。

狙って作れるわけではないのですが、ランダム性があるのも画像作成の面白いところですね。同じものは二度と作れないです。



④ 「フェスティナ・レンテ」

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西洋風?しばらくの間ツイッターのヘッダーにしていました。

意味はラテン語で「ゆっくり急げ」です



⑤ 「メルナート廃聖堂」

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最近作ったものです。

建物系は珍しいですね。建物のような形になることが滅多に無いので。まあ偶然の産物です。言ってしまえば全部そうですがw



⑥ 「ピースメーカー」

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壁画に見えなくもない?
意味は「調停者」など。



とまあ、こんな所です。

今年の2月ぐらいから作っているので、始めてから半年ほどになります。と言っても最近は主に絵を描いているのであまり画像は作れてないのですがw 絵についてもまた話そうと思います。


僕は創作(?)の才能は全く無いと思っていたのですが、作ってみると自分の見えていなかった部分が見えたりして面白いです。(どの念能力を持っているか分かるかも?)


というわけでおしまいです。
またね。

果てなき道

今回は「謙虚さ」について。


何気なく将棋の永瀬先生について調べていたら、「なぜ永瀬拓矢藤井聡太を研究会に誘ったのか?」という記事を見かけたので読みました。それで少し、思ったことを。


永瀬先生は将棋に親しむ人なら知る「努力」の人ですが、その質量が(おそらく棋士の中でも)圧倒的であることは以前から不思議に思っていました。一体、何がその糧になっているのかと。

『永瀬流 負けない将棋』でも見ましたが、彼の勉強時間の目安としてはプロ棋士になるまで一日8時間〜10時間ほどされていたようです。プロになられてからは、あるいはそれ以上かもしれません (仕事の都合などで減らない限りは)。


その圧倒的な努力の秘密はどうやら「謙虚さ」にあるようです。

詳細は割愛しますが、冒頭に紹介した記事の中で、永瀬先生が四段の時に、鈴木八段から「プロがアマに負けるなんてありえない、そのような人とは一緒にいたくない」という旨の内容で、厳しく叱責されたようです。

それが永瀬先生に未だ残っていたプライドを捨て去り、殻を破るきっかけになったのだとか。


また、彼が藤井(聡太)先生を研究会に誘ったのも、藤井先生の「強さ」というより、「謙虚さ (を主とした精神性)」が理由だったようです。

僕が冒頭の記事の内容を意訳する形になりますが、永瀬先生曰く「 (当時14歳という若さで) 既に実力を身に付けているなら、天狗になるのが自然。それで謙虚でいられるというのは凄まじい精神力」であるとか。



記事を通して僕が思ったのは、果てのない向上心の裏には途方もない謙虚さがあるらしい、ということです。

僕も常々思っていたのですが、現在の実力に「満足」してしまうと、慢心が生まれ、途端に向上意欲や探究心が失われるように思います。

あるいは「自分はまだ本気を出していない」などと思うのも傲慢さの現れで、それは可能性を残しているのではなく、むしろ潰してしまっているのでしょう。

彼らは、向上し続ける人達は、何よりも「自分の力量」を知っています。いや、「痛み」をもって身に刻もうとつとめています。

それは「自分の弱さ」を知ることに繋がるからで、そこから本当の歩みは始まるようです。


僕はと言うと、自分の傲慢さは知っていたつもりだったのですが、まだまだ若気の殻を被っていたようです。

正直、僕が歩んでいる道 (表現し辛いのですが、強いて言えば思想の道?)にはとても人が少ないので、自分の力量を知りにくいのはある程度は仕方ないのかもしれません。でも、それを言い訳にしているところがありました。

加えて知的な領域では、将棋や絵などに比べて卓越性が見えにくいです。しかし、おそらくそれを知ることを含めての「道」なのでしょう。それらは、知的に卓越しようとする者にとっての試練です。だいたい、賢者になることを志す者が、自分に酔って盲目になるほどの愚行があるでしょうか。



とにかく、僕はまだまだ修行が足りないということのようでした。

おしまい。


(あと、永瀬先生は「教えていただいた」という意識が濃くあるようです。確かに、「自分(だけ)の力でここまできた」と思うと助力を得にくくなる、というのは聞いたことがあります。※助力は目に見える力に限らないです)


(追記。僕は「努力」という概念についてかなり懐疑的ですが、それは無闇に苦労したり、エネルギーを「浪費」してしまう傾向が強いからです。

永瀬先生が行っているような「本当に興味のある分野に沿った努力」は「自然な努力」であると言えます。でもそのように、本分を見極めて自分の道を進んでいる人はとても少ないのです。

「(不自然な)努力をして成功した」人というのは物凄く少ないのが現状ですし、一部の人や状況にしか有効でない戦略は不完全極まりません。だから無闇な努力は危険なのです。
※努力については「ヘクシス」という記事に少し書いてます。努力は重要かつ、罠に陥りやすい概念なので、また独立した記事を書こうと思います。

※ 永瀬先生にとって努力とは、「一時的なものではなく、息をするように、無理なく続けられるもの」とのこと。一般的に思われるような努力のイメージとは相当に異なるようです)



(「努力」はラテン語で conatus と言うようです。

conatusは、「事物が生来持っている、存在し、自らを高め続けようとする傾向」を意味します。Wikipediaより)